Tuesday, December 4, 2018

ニュースについて

今年の八月に文化庁で行われた「方言をどう残していくか」という議論を聞いて、考えさせられました。現代のアジアの国と言えば、日本も中国もこの問題に困っているようですね。私にとって、ニュースで出て前に聞いたことがないアイヌ語などの実際的になくなりそうな八つの方言から、京都で留学した間に経験した京都弁と大阪弁と奈良弁まで、日本の方言の広さと深さがよく分かりました。同じように、今の中国は北京の方言を「正しい中国語」にして、残している方言は浮き沈みが多いです。出身地の上海は特別な方言を使ていますが、十年前に「学校で方言を話してはいけない」というルールを作られて、方言が話せる人の数が急に下がってきました。私はそのころ育った子供として、今でも上海の方言が分かるのに、あまり話したくありません。英語よりへたかもしれません。

方言はもともと人々が自分で地方的な習慣より作った言語で、フォーラムな場面で使う言語ではないのに、今はグローバリゼーションのせいで、消滅(しょうめつ)の危機(きき)にあるから、政府から方言を守る法律までも書いてもらうことは不思議なのではないでしょうか。しかし、チャンスでもあって地方の文化から方言が生まれて、守らなければならなくなってきましたね。

方言を残すように、いくつの方法がありますが、私が考え出したのは:以下の二つの目標を中心として努力することです。まずは方言のプライドを立てることです。実は、方言につけられている歴史は普通の中国語、または日本語より低くはありません。間違えた言語ではありません。それに、方言は人の知識のレベルにも関係が全然ありません。それが分かったら、人々は多分方言をもっと話したくなります。次は方言の教育です。授業からテレビ番組まで、色々なメディアが助けてくれます。子供の場合には、好きなキャラクターが自分の方言でしゃべっていたら、多分プライドも増えて、勉強にもなるんじゃないでしょうか。

Wednesday, November 21, 2018

サンクスギビングの多聴

使ったマテリアルの名前:「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」

マテリアルについてのビジュアル情報:

内容についての要約:
梓川咲太という高校生は思春期症候群という病気にめにあった女子たちを何人も知ってきました。妹さんのかえでがネットでいじめられたのに、体がけがをしたようです。先輩の国民女優の桜島麻衣も不思議なことに、どんどん人々に見えなくなっているようです。梓川は女子たちを助けるようにしながら、高校の空気や思春期の意味などのトピックについて考えさせられます。

考えたこと:
今このアニメは日常を中心にしていますから、理解やすいです。授業での聴解練習のおかげで、単語と文法がたいてい分かりました。多読より多聴にとても短い反応の時間しかもらえませんが、今度たいてい分かった理由は速くない話すスピードにも関係があるんじゃないかと思います。
このアニメは私の中学校の友達のおすすめです。このアニメについてもっと知りたいことがあるし、登場人物は誰でもとても個性的だし、高校生の悩みと性格も現れているし、確かに面白いですね。しかし、次に日常よりSFに向かうそうです。楽しみにしています。

Sunday, November 11, 2018

文字のない葉書

向田邦子さんが書いた「文字のない葉書」という随筆で戦争の恐ろしさが現れています。

筆者が描いた下の妹の疎開経験は非常に悲しかったです。戦争は国の理念の体系の違いで始めて続いているのに、本当に悲しみを味わうのは普通の人々です。下の妹は若すぎました。戦争という単語の意味も分からない年齢に家族と長い間離れさせられて、病気にもなりました。最も絶望にさせるところは、戦争の時代にその泣かせるぐらいひどい疎開を防ぐ方法はありませんでした。東京大空襲のせいで、筆者の家族は下の妹を疎開に通わなければならなくなりました。地元婦人会と付き添った方は子供たちをいじめたはずがありませんでした。減っていた状況はただ戦争の時代に生活しにくかったからです。一般的に暴君のように厳しいお父さんも突然に娘さんを迎える時に優しくなりました。

しかし、筆者のお父さんの暴君のようなところは戦争の恐ろしさに正しくされたわけではありせん。家族の中にお互いに人としての尊敬な気持ちを持たなければなりません。それは家族の性別と年齢に関係がありません。昔には確かに男の人が奥さんと娘さんに手をあげることが多いでしたが、それは正しくありません。手紙と葉書で現れている優しさは驚きではなく、当然なわけです。

Sunday, October 21, 2018

秋休みの多聴

マテリアル:韓国の防弾少年団についてのビデオを二つ見ました。その一つは「PON!」での紹介で、もう一つは吉本新喜劇とのコラボでした。
ビジュアル情報:
VIA:https://www.youtube.com/watch?v=JJv42rTXiEk
VIA: https://www.youtube.com/watch?v=4cux74duEmw
長さ: 合計20分ぐらい 
要約:「PON!」という日本の番組は韓国のヒップホップグループ「防弾少年団」を紹介しました。「anan」という日本の雑誌をスペシャル版も出版させたことをはじめ、防弾少年団の日本での統計情報と日本語の歌とか、色々説明しました。このビデオで防弾少年団が日本で大人気を集めたことがよく分かります。ビデオで言った吉本新喜劇とのコラボを調べたら、見ることが出来ます。防弾少年団のかわいくてかっこよかった演出と踊りのおかげで、スキットがもっとにぎやかになりました。多くの若者も防弾少年団のために来たようです。
感想:私が韓国のグループに興味がある理由は彼らが国際的に活躍できる能力です。欧米やアジアで大人気な音楽のパターンに自分の独創的なスタイルを添えて、やっぱりBillboard Social 50のトップですね!歌いと踊り以外に、韓国のアイドルは外国語も学ばなければなりません。外国で通訳が要らずにインタビューが受けられるほど英語と日本語と中国語を練習しています。吉本新喜劇で日本語での演出は素晴らしかったと思います!防弾少年団の皆さんは関西弁や有名な日本料理や日本人が使っている日本語の表現を勉強した努力を見て、ファンとして嬉しかったです。アイドルなのに、他の国の文化と言語をちゃんと調べておいて、本当に世界中のファンに関心を持っていますね!私も彼らのような国際的な人になりたいです!

Sunday, October 7, 2018

日本を幕末から明治時代向けに進めた一人

江戸時代末期から明治維新まで活躍した要人は少なくなったが、今日は万次郎以外に「明治維新の三傑」の一つだと言われている桂小五郎という方を紹介したいと思う。皆さんは多分、「銀魂」というマンガ・アニメのキャラクター桂小太郎に親しんでいる。実は、幕末をもとにした少年漫画として、「銀魂」は桂小五郎の人生をもとにして桂小太郎の人物を描いたのだ。
歴史の資料によると、桂小五郎は1833年山口県に生まれて、七歳で桂家の養子になって、武士になった。子供の頃、彼はよく病気になったのに、剣術の才能を示し始め、吉田松陰のもとで兵学を学び、神道も習い、どんどん社会に出番した。

ペリー来航に影響を受けた小五郎は西洋兵学や英語などの学問を勉強し、開国攘夷の思想を作っていた。攘夷という思想は、外国人を日本から出した方がいいという考え方だ。しかし、彼は政変で失敗し、隠さなければならなかった。後で、同士のおかげで帰郷出来た。その後、桂は薩長同盟と一緒に働き、明治政府を立てるために深く貢献した。晩年は病気になり、政府の中枢との関係も悪くなったようなのに、欧米訪れなど様々な活動を続け、45歳の時亡くなった。

開国を中心とした明治時代に日本が大きく変わったが、その時代に反対な意見もあり、ついに出来なかった発想もあったことも覚えなければならない。桂小五郎の例で、両方の歴史を学ぶのではないでしょうか。

Sunday, September 16, 2018

To All the Boys I've Loved Beforeをはじめ

「To All the Boys I've Loved Before」は、同名の小説をもとにして今年撮影された人気映画だ。たくさんの友達が好きだったので、昨日の晩ルームメイトのイさんと友達のインさんと部屋でプロジェクターで始めて見た。私はロマンティックコメディが別に好きじゃないけど、アジア人の主人公を見て感動したよ。なぜなら、映画の主人公は顔がアジア人だけじゃなく、家族の習慣から自分の考え方まで完全にアジア人だ!アジア料理とか、ヤクルトという飲み物とか、韓国のパックといったアジア的なものが出てきた。その上、主人公が恥ずかしがり屋の性格を持って、色々な意見を言う代わりに書く、頭がいいのにスポーツやパーティーに活躍していない様子は、代表的なアジア人だ。たぶんアジア人のステレオタイプに当たって人に怒られるかもしれないが、私はいつも「ステレオタイプを消すために、ステレオタイプの反対の例を挙げるより、ステレオタイプの後ろのストーリーを説明して、2Dのステレオタイを3Dの人のストーリーに変るはずじゃないでしょうか」って思う。
その他、「Crazy Rich Asians」という映画は同じようなことをやってるみたい。アメリカ人にアジア人の生活と文化と考え方を見せれば見せるほど、世界の平等交流を増やすんじゃないでしょうか。へへ

Sunday, September 9, 2018

私のアイデンティティ

今週読んだ「日本人も色々決めつけずに」という記事は感動させますが、筆者の考えは完璧だとは思いません。帰国生徒としてもちろん「日本人はどうしても日本人だ」と言えますが、逆に私のような留学生としたら、どのぐらい日本にいても「日本人」になれないんじゃないの?日本は移民の国ではないので、私がこう言えばへんかもしれませんが、もしかして「melting pot」と呼ばれているアメリカなら、筆者の考えによると、昔ヨーロッパやアフリカやアジアから引っ越してきた人々と彼らのお子さんは今アメリカ人より、もとの国の人ですね。私は、確か生まれた町と育ったところが人のアイデンティティに関係があると思います。しかし、「育ったところ」というのは、地理的なところだけではありません。文化、メディアとかもその「育ったところ」の一部であります。

理論的に説明することはちょっと複雑ですが、例えば、私は中国で生まれてアメリカの文化で育った人です。18歳まで、中国のシャンハイにいました。そして、このノートルダム大学に入学ため、両親と住まずに、アメリカに引っ越してきたんです。もちろん、中国とアメリカの違いのせいで、最初に慣れなかったことがあったが、それに対して「家に帰った」という感じもありましたよ。なぜなら、私は小さい頃からアメリカの本と映画とテレビ番組しか見なかったんです。中国の学校で友達はいつも私が知らなかった映画や番組についてペラペラしゃべっていました。でも、アメリカでの皆さんは私とだいたい同じの本と映画と番組で育って、色々話せました。その時、私は外国で自分のアイデンティティの一部を見つけたので、嬉しかったです。

私にとって、アメリカの生活に慣れることより、中国とアメリカの考え方のバランスをすることの方が大事だと思います。私は中国で一般的な恥ずかしがり屋なのに、アメリカですごく静かになって、時々他人に頭が悪いと思われます。でも、それに対して、私はアメリカのかいかつ(open-mindedness)の考え方を完全に受け入れたので、時々中国の友達にクレージーと思われます。どうやってか自信を持って自分の意見をはっきり二つの国のかたに伝えられるようになれば、大きい成長ができますね。